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母乳育児を大変だと感じる女性が多いのはなぜか


 



母親の多くは、子どもを母乳だけで育てることの難しさを実感している。


米疾病対策センター(CDC)によると、第1子を出産したばかりの女性の80%は母乳のみでの育児を希望するものの、米国人女性が取得する一般的な産後休暇期間である3カ月が過ぎた時点で母乳のみを続けている母親は半分以下に減り、米国小児科学会が推奨する6カ月後までそれを続けている母親はわずか4分の1だという。多くは、粉ミルクとの併用か、母乳を完全にやめてしまっている。


粉ミルクが問題を引き起こすこともある。今年の初め、米国で粉ミルクの細菌汚染事故が発生、大規模なリコールが実施された。その結果、全米が深刻な粉ミルク不足に陥った。


生理学的に母乳育児ができないとされる女性は全体の5~10%とみられている。ところが現実には、十分に母乳が出ない、または自分の母乳に栄養が足りないため赤ちゃんの成長が阻害されていると訴える女性の数はそれよりもはるかに多い。そして、なぜそのような問題が起こってしまうのかに関する研究は驚くほど少ない。牛乳に関しては、乳製品業界の資金によって幅広く研究が行われている一方、人間の母乳に関する研究はほとんど進んでいないのだ。


最近になってようやく、遺伝子や食事内容など母乳に影響する要因に研究者が目を向けるようになった。これから母親になろうとする女性たちにはより多くの情報がもたらされることが期待されている。


「科学は急速に発達しています。この分野に関しては、今後10年間がとても楽しみです」と、米マサチューセッツ・ローウェル大学で生物医学と栄養科学を研究するシャノン・ケレハー氏は言う。



母乳はどうやって作られる?


女性の胸は妊娠中に変化し、様々なホルモンを分泌して母乳製造工場を作り上げる。ケレハー氏は、乳腺をブドウの房にたとえる。実の部分で母乳が作られ、茎に当たる乳管を通じて外へ出る仕組みだ。


女性は出産すると、胎盤を排出するとともにプロゲステロンというホルモンが急激に下がり、母乳の産生が始まる。


赤ちゃんが乳頭を吸うと、母親の体内でプロラクチンとオキシトシンが分泌される。この2つのホルモンは、乳腺の細胞に母乳を作るように促す働きをする。体が母乳を作り続けるためには、定期的な授乳を続けなければならない。それが途絶えると、乳腺は妊娠前の状態に戻る。


母乳育児はなぜ難しいのか

専門家は、ホルモンのシグナルプロセスを開始するために、出産から1時間以内に授乳するよう勧めている。また、産後2~4日は、赤ちゃんにとって重要な栄養や抗体、抗酸化物質が豊富に詰まった初乳と呼ばれる特別な母乳が出るため、この時期に粉ミルクを与えてしまうと、赤ちゃんはこの貴重な初乳を飲む機会を奪われてしまうことになる。


授乳に関する問題は、支援と教育によって乗り越えられるはずだと、米バージニア大学の小児科医で授乳医学会の会長を務めるアン・ケラムス氏は言う。新しく親になるときに、ほとんどの人は授乳に関して基礎的な指導しか受けず、医学部ですらわずかな教育しか行われていない。ケラムス氏が研修医だった頃、研修先の病院では昼の休憩時間に授乳クラスが開催されていたが、講師は粉ミルク会社の社員だったという。


患者と医師がもっと多くの情報を得ることができれば、不安が多少解消されるだろうとケラムス氏は考えている。例えば、赤ちゃんが成長する過程には母乳をそれほど必要としない時期があり、それに応じて母乳の量も自動的に調節される。このことを理解していれば、母乳の量が減ってもそれほど心配することはなくなる。母乳が足りないと感じて粉ミルクを補うと、さらに母乳の量が減るという悪循環に陥る恐れがある。


「母体がいつ母乳を産生すべきかを知るためには、最初から、赤ちゃんが空腹のときにいつでもシグナルを受けられるようにしておかなければなりません」と、ケラムス氏は言う。「供給量を元に戻すには何週間もかかる場合があります。電気のスイッチのように入れたり切ったりということはできません」


時には、赤ちゃんの方に問題があることもある。例えば、舌の裏側にある膜状の組織が舌の先から歯茎までつながっている舌小帯短縮症があると、赤ちゃんは口で乳頭を十分に刺激することができない。


母親の健康状態や食事も影響


ケレハー氏は、様々な生物学的要因が授乳を困難にしている場合があると指摘する。


その一つ、母親の健康や身体的な状態が母乳の産生を阻害する場合があることはよく知られている。例えば、乳房切除、豊胸、縮小といった手術が乳腺の構造を破壊してしまうことがある。ごくまれに、思春期の頃に乳房組織が十分に発達しなかったという女性もいる。甲状腺の問題や糖尿病、多嚢胞性卵巣症候群などはいずれもホルモン値に影響を与え、母乳の産生に必要な繊細な相互作用を乱す可能性がある。また、慢性的なストレスも、母乳を作るためのエネルギーを母体から奪ってしまうという研究がある。


食事の内容が母乳に影響を与えることもわかっている。肥満と栄養不足はいずれも、体のホルモン値を変化させる。米ジョンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公衆衛生大学院の人間栄養学部長、パルール・クリスチャン氏によると、母乳に含まれる脂肪やビタミンの組成は母親の食事に影響される。そのため、授乳中はサプリメントを取り、健康な食生活を維持して突然のカロリー不足に陥らないように気を配るとよいという。


ケレハー氏は、抗酸化物質が酸化ストレスの抑制に果たす役割にも最近注目が集まっていると指摘する。酸化ストレスによって乳腺の細胞が死滅すると、腺房が縮小して妊娠前の状態に戻ってしまう。授乳期用のサプリメントに含まれているフェヌグリークなどの抗酸化物質が、酸化ストレスを抑えると考えられている。


遺伝子が母乳に与える影響については、「私たちは乳製品業界と比べて大きく後れを取っています」と、ケレハー氏は言う。牛の場合、長年の研究によってたんぱく質の含有量を促進し、乳汁の出をよくする遺伝子が見つかっている。しかし、人間に関しては同様の研究がまだわずかしかない。


ケレハー氏自身は、遺伝子の変異が乳腺のなかで亜鉛の運搬にどう影響を与えるかに焦点を絞り、研究を行っていた。亜鉛は初乳に多く含まれていることから、新生児にとって重要であると考えられている。米ペンシルベニア州立大学の研究では、ラクトアドヘリンというたんぱく質を作る遺伝子の変異が、十分な量の母乳を作れないことと関係していることが示唆された。しかし、なぜなのかは不明だ。

「このたんぱく質が乳腺でどんな働きをしているのかもわかっていません。けれど、その変異が母乳の低産生量と関係があるというのです。そこを解明することが重要なのではと思います」と、ケレハー氏は言う。


同じように、環境要因も見過ごせない。長い間化学物質やマイクロプラスチック、その他の有害物質にさらされることによって、母乳の質と産生量に影響が出るのではないかと、ケレハー氏は指摘する。しかし、環境問題がますます複雑になるなか、どの物質が有害かを判別するだけでも一筋縄ではいかない。



今後の研究

これまで、母乳に影響を与える生物学的要因の研究に資金を集めるのは簡単なことではなかった。そこには医療の他の分野でも見られる性差別が少なからず絡んでいるが、母乳が出なければ粉ミルクを足せばいいという考えが根強く、資金提供者が緊急性を感じていないせいもあると、ケレハー氏は指摘する。


とはいえ、近年の技術の発展により、母乳には栄養が豊富なだけでなく、赤ちゃんの健康と成長、発達に必要な生理活性物質も多く含まれることがわかってきている。


人間の母乳について理解することは、世界中の女性と子どもたちのためでもある。とくに、貧困と栄養不足が蔓延している地域に住む人々の人生を大きく変えることができると、クリスチャン氏は言う。


文=AMY MCKEEVER/写真=JENNIFER MCCLURE/訳=ルーバー荒井ハンナ(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2022年7月10日公開)




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